ハルイロ
ヒトは悩みを持って生きている。誰しもが平等に授かるモノ。
故にヒトは平等に悩む。
どうしたら限りある生を楽しく過ごせるか、と。
どうしたらこの場を切り抜けられるか、と。
悩み悩んで疲れた心が貴女の中にもあるのではないだろうか。
さぁ、目を閉じて。手は胸に。
心の行き着く先を今日はそっと教えよう。
これはヒトの心を整える『調心師』のお話――――。
曇り空の朝。いや、夜だろうか。
時間の縛りも概念もない何処かの世界での出来事。
薄暗い、けれども明るい空の下、名も無き店はひっそりと営業を始める。
がちゃり、と店の扉は開かれた。中から現われたのは一人の少年。
彼はそっと小さな赤いポストを覗く。僅かに釣った目、立った髪。
やんちゃさが残る顔つきからまだまだ子供なのだと分かる。
溢れんばかりに詰められた手紙を見つけ面倒だと言わんばかりに呟いた。
「ヒヨス。今日も大量だ」
「あはは、まぁそんなもんだろうねぇ。トウキ、早く仕事を始めよう」
少年に呼ばれ、扉から顔を覗かせたのは細い線の青年。
ヒヨスは苦笑混じったような親しい笑みを少年に見せた。大気が揺れる。
二人は揃いの瞳の色で笑い、異なる髪色を靡かせた。
兄のヒヨスと弟のトウキ。幸せのために働く調心師の兄弟である。
両手いっぱいの手紙を持ち、トウキは急いで部屋の中へと戻った。
彼が持っている手紙はどれも汚濁色で染められ、とても綺麗といえるものではない。
どちらかと言われれば触れたくない、近寄りたくないと思わせるようなみすぼらしい色の手紙たちである。
これらは全て人には聞こえぬ心の悲鳴。悲観、憎悪、嫉妬。
兄弟とは無縁であるはずのヒトの負の感情は助けを求めて彼らの元へとやって来る。
そんな歪んだ感情に手を差し伸べ、心を整えるのが調心師の仕事。
トウキが運んできた手紙をヒヨスが机の上で色別に分け並べて行く。抱かれた感情によって手紙の色は変わるのだ。
この日は灰色と紺が混じった封筒が大量に積まれた。
「困惑色が多いねぇ」
「さぁ?……そういや向こうは『ハル』っていう変わり目のキセツらしい」
この世界にキセツは無い。配達屋が話していた単語を思い出したのだ。
『ハル』は楽しい季節だと聞いた。世界が極彩色に色づくらしい。
「キセツねぇ…美味しいのかな?」
首を傾げる兄にトウキは推測で話す。彼も知らないのだから当然だ。
「食べ物じゃないと思うが・・・行事とかじゃないか?」
「ふぅん。なら楽しんでもらわなきゃだね。そうだろう?」
その言葉は握られた手紙へと向けられる。返事は、ない。
何が面白いのか、あははとヒヨスは笑った。トウキは黙る。
「……俺、薬作ってくる」
彼がそう切り出し、その場を離れたのは暫くしてからだった。
トウキは奥の部屋へ向かった。薄暗い廊下の突き当たりの部屋は調合室である。
薬を作るのに必要な材料を保管場所、また試作薬を作るのに使われるのだ。
トウキは壁一面の棚に並べられた瓶の中から必要な材料を探し出す。
妖精の眠り薬や天馬の好きな香草、と言った見るからに怪しげなモノの中から迷う事無く必要なもの揃えた。
困惑色には月夜花の光と太陽草の陰。悲観色には初霜の露と夕凪の風を。
硝子ランプの明かりの下、ボウルの中でゆっくりと混ぜ合わせる。トウキは何も考えず精神を研ぎ澄ませた。
少しでも分量が違うと全く別なモノになるからである。解毒薬だったはずが毒薬に、なんて話は良くあることだ。
こうやって薬を作るのはいつもトウキの仕事。兄ヒヨスよりも細やかな点にまで気を配り薬を作るため失敗する事が少ないのである。
調心師には必要な条件が二つある。
一つは薬を作れる力。相手を治すためには薬を作れなくてはならない。
極稀に薬ではなく言葉で相手を癒す調心師もいるようだが、基本はこれだ。
もう一つは相手のオモイが理解し聞き分けられる力。
調心師の下に届く感情。これらはヒトと同じで個性を持っているのである。
トウキは手紙の声を聞き分けることが出来なかった。
調心師としての能力が欠落しているのだ。患者を理解できない調心師。
彼にとっては困惑も憎悪も羞恥も全て一緒。
蠢く負。もやもやとした霧晴れぬ感情でしかないのだ。
昔、泣く弟に兄は「自分が出来る事をやればいい」と教えてくれた。
調合と言う仕事に誇りを持っている。草と戯れるのも嫌いではない。
だが、同時に複雑で不可解な感情が彼の胸中に生まれていた。
「一体なんなんだかな……」
知りたい。けれど知りたくない。そして何より知られたくない。
知らぬ名知った感情に苛まれながら、トウキは幸せを作る。
対してヒヨスは弟の後を追って調合室に行く事もなく、リビングに一人。
手紙から便箋だけを取り出すと、何処からか生み出した炎でぱちぱちと燃やしはじめた。
焦げ臭い煙が直ぐに部屋中に漂うが気にする様子はない。
大きな銀の皿の上に燃える手紙を置いてヒヨスは残った封筒を楽しそうに眺めている。
その口は僅かに笑み寄せて、ゆっくりと語りかけた。
「君の色、本当は困惑色じゃないよね。僕の前で偽っても無駄だよ」
これが彼の仕事である。ヒヨスには薬作りの才が無かった。
基礎の基礎と言われるような簡単なものですら失敗するため、調合を自ら封じたのだ。
彼もまた、調心師としては力が欠けた存在だった。薬が作れぬ調心師。
代わりにヒヨスはコミュニケーション能力が異常なまでに発達している。
ヒトでないモノが分かる能力。ヒヨスは不敵な笑みを浮かべたまま。
「この色はトウキの色と同じなんだから、騙せる訳無いじゃないか」
彼は感情と話すことによって中にある個性までもが分かる『話』の力。
故にヒヨスは他人の心も読めた。手紙と同じ様に色を放っているから。
ある昔、トウキの心が静かに叫んでいた。手紙の声を聞き分けられないと泣いていた弟。
どう宥め、笑顔を取り戻したかもうヒヨスは覚えていない。しかし、疑問に思ったのだけは覚えている。
その感情がトウキの求めたモノなのに、どうして泣いているのだろう、と。
懐かしい記憶を思い出して笑む。ひらりと便箋を透かしながら呟いた。
「何でそんなに悩むのかね」
困惑、不安、心配、他エトセトラ、エトセトラ。
辛いよ。止めて。どうしよう。嫌だ。ごめんね。助けて。
声なき声は聞こえても、彼にその痛みが伝わる事は無い。ただ分かるだけ。
感情を分かりはするけれど、理解する事は無かった。
「ねぇねぇ、それってどんな感情?どうして生まれるの?」
無邪気な男の問いにモノは答える。低い、何かに耐える声。
―――負を知らぬ、悩みも知らぬお前に理解できるのか。ヒヨス。
ヒヨスは僅かに驚き、苦笑した。確かに、最もである。
「出来ないねぇ、きっと。理解したいと思わないからね」
いや、理解以前に苦しみに興味が無かったのかもしれない。
「一体何なんだろう。そこにだって幸せはあるのに・・ねぇ?」
ヒトは知っているのかな。知らない筈はないよね。僕は知っている。
数多の声を聞きながらも理解する事はなく、ヒヨスは幸せを作る。
心理師である兄。調合師である弟。兄弟は二人揃って一人の調心師。
「………仕事しろよ」
呆れたような、怒ったようなトウキにヒヨスは微笑む。
「酷いなぁ。ちゃんと仕事中さ」
皿の上の手紙はもうすっかり灰と化していた。
勢いがあった炎も今は燻っているだけですっかりおとなしくなっている。未だ形ある紙も触れるとぼろぼろと崩れた。
完全に灰になったのを確かめたヒヨスはトウキが作り持ってきた水薬の中から薄紫色の液体の瓶を取り出す。
「今回少し香料きついかもしれない。入れ過ぎた」
「平気だよー。いい香だね」
封を開けると華の蜜のような香があたりに広まった。先程まで漂っていた焦げ臭さから一転して華やかな匂いに包まれる。
ヒヨスは水薬を灰の上に満遍なく振り掛けると、まだ消えていなかった炎がじわりと音を立てて消えた。
液体で満たされていく皿の上でゆっくりと変化は始まる。
灰色から光。暗色は次第に輝きを増し、あっという間にきらきらと輝く結晶達へとなった。
色も大きさも様々で同じものは一つとしてない。
「ほぅら、やっぱりどんな悩みにも幸せはあるじゃないかぁ」
結晶達は幸せの欠片。小さいけれどそれは立派な幸せ。
誇らしげに言う意味が分からずトウキは首を傾げ、視線を落とした。
その色が分からない。どう違うのだろう。何をヒヨスは誇っているのか。
またトウキの心中で蠢き始める。ざわりざわり。苦い味。
ヒヨスは見た。あの時と同じ暗黒色。トウキに渦巻くヒトの負の感情。
ねぇ、それはどんな感情。どうしてそんなに絶望するの。
この時、二人は同じ想いに駆られていた。同じだけれど違う想い。
イッタイ、ナンナノダロウ。
「トウキは今、幸せかい?」
思考の静寂を破ったのはヒヨスだった。突然の問いかけ。
「何で今そんな話をするんだよ」
トウキの言葉を無視し、ヒヨスは続ける。
「どんな感情にも幸せはあるんだよ。知らないだけでね。
ヒトが幸せと呼ぶモノもそうだし、僕らのところに送られてくるモノも幸せだ」
形こそ歪んでいるけれど元は一つ。だから、なんだと言うのだ。
「気が付かないなんて本当は嘘なんだよ。本当はヒトだって知っているのにわざと気が付かない振りをする。
……何でだと思う?」
ヒヨスは謎賭けをしながら皿の上の結晶を指先だけで摘み、別な皿へ。
「簡単さ。信じたくないからだよ。
『とても辛いです。困っています』って言ったほうが楽だろう。だから自分に暗示をかけるんだ」
その動作は流れるようだった。言葉も同様にさらりと紡がれる。
「『自分は悩んでいて、幸せではありません』」
最も弱いヒトがする事だけどね、とヒヨスは言う。他人事だ。
トウキは顔を顰める。何故だか他人事とは思えなかった。
「苦しいなら仕方ないじゃないか。そのための調心師だろ?」
「ネガティブ過ぎるのはよくないよ。だって『ハル』だしー」
「意味知らないだろ」
真剣な場から一転、トウキの呆れた突っ込みにのほほん笑うヒヨス。
ヒトに近し弟と遠き兄。
「どんな感情でも抱くのは勝手だけれど抱いたからにはまずは自分で蹴りをつけなきゃ。
駄目だったときに手助けをするのが調心師の仕事だろう?」
黙って頷く。普段は役立たぬ兄の言う事が正しいのが少し、悔しかった。
…………悔しい?
自分で何を思ったか分からず戸惑うトウキにヒヨスはくすりと笑む。
「僕にその感情は分からないや。だからトウキ自身が解決する。いいね?」
ヒトは驚く。ヒトでないモノは歌うように。
「さぁ、薬を作ろう。ヒトがキセツを満喫できる楽しくなる薬を」
四月某日。桜舞う下。ヒトビトは新たな一歩を踏み出していく。
困難や不安を持ちながらも、それを上回る希望と期待を携えて。
何処からか声がする。そっと耳を澄ませてみよう。
「桜、綺麗だなー。今年の桜はいつも以上じゃないか?」
「よかった、まだ散ってない。やっぱり桜を見ると春だなぁって感じるね」
「花見、花見ぃー♪ほらっ早くしないといい場所取られるぞっ!!」
豪華絢爛の春。桜と共に舞い踊る幸せの欠片。気付くヒトは居ぬまま。
「おいヒヨス、って……何、これ」
ある日、リビングに置かれた小さな一輪挿しには見たことのない花が咲いていた。小さな淡い花弁は儚さ感じさせる。
「配達屋さんがキセツの花をくれたんだー。可愛いでしょ?」
トウキは横にあったメモを読む。見慣れない三文字が並んでいた。
「サクラ?」
「その花の名前だって。素敵な名前だよね」
「そうだな」
トウキは花を見つめながら口元に笑みを浮かべる。無意識の行動。
ヒヨスは見た。その心中がサクラと同じ色に染まっていく瞬間。
淡い柔らかな優しい色で暗黒色が包まれ、消えていくのを。
驚き、ぽかんとした表情のヒヨスに気が付かずトウキは言う。
「しかし、淡い色だ。
薄紅にしては薄すぎているし、だからといって白ではないんだな。当てはまる言葉が見当たらないが……綺麗だ」
素直な感想。トウキも笑う。ヒヨスも笑った。確かに綺麗である。
「やだな、トウキ。当てはまる言葉は一つしかないじゃないか」
彼の知る場所で。誰も知らない処で。
ハルイロは静かに咲き誇るのだった。
Fin.
創作同好会部誌『PUNCS』の2号に寄稿した作品
春なので鬱にならない心温まる話を!という意識の下で書いたのにも関わらず、暗めになってしまった物語です
此処ではない何処かの世界。そんなファンタジーが織り交ざるような世界観をもっと前面に出したかったなぁと思ったりなんだり
モドル