ヒトが祈る意味 後編


  「やぁ」
  その日も私は夜早い時間から夢を見た。彼はいつものように椅子に座り、にっこりと笑う。
  私もそんな彼に笑って手を振り、椅子に座った。
  「今日はね、僕なりの生と死のお話」
  彼は私が席に座るとすぐに話し始めた。
  生死。
  その言葉に私は心を見透かされたようでどきっとする。彼はそんな私の心情を知らず問うた。
  「生者と死人の違いは何だと思う?」
  「この世に存在しているか、存在していないか……かな」
  問いかけは語り部の始まり。答えると、彼は首を横に振った。
  「いや、存在はしているんだ。物体として腐敗したりはしているかもしれないけれどそれは確かに存在している。
  僕が思うに生と死やヒトとモノの違いはその時、今現在それに意思があるか、無いかということだと考えてる」
  その表情は笑っている。だが、翳っている。
  何かまた嫌な事でも在ったのだろうか。心配になる私の横で彼は話しつづける。
  「死んだら自らの考えを伝えられない。
  だから、人間は遺書や言伝で、自らの考えを記したり伝えたりして後世へと残すのだと思うんだ」
  そういうと彼は少しうつむいて呟いた。
  喩え、モノになったとしても誰かしかの記憶に残っていればそれは生きている。そう、信じていたいのだ。

  だから―――――― 

  「だから、僕は君に遺すことにしたよ」
  「言っている意味が分からないのだけれど…?」
  私の疑問に彼は答えることはせず、唐突に質問を投げた。
  「死って言われて思いつくのは何色?」
  「……白とか、黒とかかな。有彩色よりも無彩色って感じだし」
  戸惑いながらもそう答えると彼はこくりと頷いた。
  「そう、無彩色だ。亡き人を沈める色は白。黒は喪に服す色。でも、それは僕たち生きている人間が勝手に考えたものだ。
  この事はどれだけ昔から伝わろうとも、今後伝わっていこうとしても変わらない」
  「何がいいたいの?」
  私には彼が話したい本当の意味が分からない。彼はあは、と笑った。
  「死というのは、本当は透明なんじゃないかな」
  「透明?」
  「身体という檻から魂が解き放たれる。実体を持たないのだから見える訳も無い。よく考えれば当たり前のことだよね」
  そういって彼は一層にっこりと笑った。
  狐につままれた表情で私が首をかしげると、彼は自らの腕を差し出し、その袖をするするすると捲りはじめた。
  私は息を呑む。驚きだろうか、恐怖だろうか。
  やっと彼が何が言いたいのかが分かった。出来ることなら分かりたくなかった。
  何故なら彼の腕は――――。
  「腕が………!」
  「そ、腕が消えてる」
  彼の腕は半透明だった。手はある。だが、手首から先はぼんやりと見える程度で既に形として呼んでいいものか分からなかった。
  彼はもう片方の手で自らの腕に手を添えるが、するりと何も無かったかのようにすり抜ける。
  彼は何事も無いかのように元のようにシャツを正し、冷静に告げた。
  「これだけじゃない。こっちの腕も、両脚も。服で隠れているところは大体が消えている。布で出来た人形みたいだよね」
  人形の服の下には綿。取っ手をつけたような手足。彼の綿は透明で、手足もいずれ綿になる。
  壊れかけの人形のようにやがて崩れて、なくなっていってしまう。
  彼は言った。
  自分はもう長くない、と。
  病が原因だ、と。
  「分かったかい?此処での死は透明なんだ。日に日に透けてきたからね。全て透明になるまでそこまで時間は掛からないと思う。
  その過程は白だ。死に場所として多くの人間が通う病院も白で統一されていることが多いだろう。僕の格好が白なのもだからかな。
  じゃぁ、黒は何だと思う?」
  私は彼の身体を、表情を驚き見るしかなかった。
  何も言えない。声を出したくても出ない。なんていったらいいのかも分からない。
  どうして彼はそんなに淡々と語れるのだろう。
  つくづく私は何も出来ない無力な存在だ。そんな私の心に気がついたのか苦笑した彼はそっと手に触れ、安心させるようにぎゅっと握った。
  優しさも全て夢なのか。この全てが幻影なのか。
  「黒は絶望なんだよ。死へと繋がる初めの一歩だ。色んな事が嫌になって君は此処に来たんだね」
  真っ直ぐに私を見て、彼は優しくあやす様な声音で語りかける。
  「でも、君はまだ引き返せる。現実を好きになればいい。死を望まなければいいんだ。簡単なことだよ」
  それに……と彼は笑った。くすりと小さな微笑。
  「君はもう絶望なんて持っていないよ。もう絶望に汚れていないもの。だから大丈夫。僕が保証する」
  「嘘っ!!だって現実は面白くなんてなんとも無いのよ。救いなんて何処にあるの?知っているでしょう!?」
  ようやく出た声は叫びだった。無様なまでに取り乱した自分の声は何度も何度も木霊して広がった。
  人は優しくて、残酷だ。優しさがあるから残酷なのか。
  「じゃぁ、僕が祈ってあげる。君が現実を受け入れられるように」
  そういって彼は私の手を握ったまま、祈るように目を閉じた。
  「嫌。私ずっと此処に来るんだから!!だって…君がまた独りになっちゃうじゃない……!」
  「独りじゃない。もう大丈夫」
  大丈夫。大丈夫。僕は君に祈ってもらえるのだから、と少年は笑う。どうしてそんなに笑っていられるの。
  「もう此処へ来ちゃいけないよ。君は絶対大丈夫だから」
  そういって彼は静かに握っていた手を離した。彼は一瞬寂しげな笑いを浮かべたが、すぐにいつもの明るい笑みに戻る。
  「ありがとう。元気でね、祈織」
  彼は最後に私の名を呼んだ。
  声が出ない。目の前が霞み始める。段々見えなくなる世界で彼はずっと手を振っていた。
  どうして彼は私の名前を知っているのだろう。
  抵抗する意識と抗えない睡魔の中で、私は一人の少年を思い出した。
  あぁ、この懐かしさは彼だったからか。
  彼はずっと私の隣にいたのだ。今死に向かいつつある彼の名前は―――。 


  「……なた、彼方ッ!!」


  そこで私は目覚めた。太陽は既に昇った後で、今日もむさ苦しいまでの暑さを光との交換条件で与えている。
  私はびっしょりと嫌な汗をかいていた。眼は眼は完全に覚めている。
  悪い夢だと思いたかった。
  「あら、祈織やっと起きたの?休みだからって寝すぎじゃない」
  丁度近くにいたらしい母がひょいっと顔を覗かせた。
  「お母さん……彼方が………!」
  「あぁ、白柳さん?今日の朝に引越しだって言ったでしょ」
  あんたは手伝わずに寝てたけどねぇ…、と愚痴を零す母。
  「何処に…引っ越したの……?」
  「大きな病院が在る所らしいわよ。息子さん重い病気らしいから」
  「彼方は…?」
  「向こうには救急車で搬送されるって。白柳さんも大変ねぇ」
  母は他人事に呟いた後、私に「早く着替えなさい」と言い残し、台所へと降りて行った。
  私は暫く呆然とした。死んではいないのだ。
  ならば。
  私は両手を組んでただただ祈った。 


  それ以来、あの夢は見なくなった。勿論彼に会うことも。
  私はただ祈り続けた。優しく儚い私を支えてくれたヒトへ。
 


  △月 ◇日   天候 晴れのち雨

  ありがとう。傍にいてくれて。
  ありがとう。話を聞いてくれて。
  ありがとう。此処で君に会えた運命に。
  僕は、祈るよ。君が祈ってくれるのだから。
  この命が尽きるまで。 

 

  何年ぶりだろうか。私があの白い扉を見たのは。
  扉は固く閉ざされ押しても引いてもびくとも動かなかった。
  服は色鮮やかな有彩色の服。私は現実を受け入れられたらしい。そう思うとおかしく感じた。 


  起きた朝は実に爽やかだった。着替えて私は大学に行く。もう立派な大人だ。家を出て、駅まで歩く。
  途中、交差点の横断歩道が赤だった。私は立ち止まる。通勤時間だけあって人は多い。
  ふと、前を見ると巨大な白い扉が見えた。それは音も無く開く。中で一人の少年が手を振っていた。
  とても素敵な笑顔だ。
  何処かで鳴ったクラクションの音で私は現実に引き戻された。
  これは白昼夢だ。
  今日は懐かしいことが多い。ふふふっと人ごみの中で一人笑った。あんなに嫌いだった太陽は変わることなく私を照らしている。
  そろそろ信号が変わる。信号を見ようと顔を上げた私は目を見張った。
  横断歩道の向こう岸。人ごみの中でひょろりとした青年が立っている。
  髪は真っ黒で目も同様に黒く澄んでいた。それは私の記憶に残る彼とそっくりだった。
  私の視線に気がついた彼はこちらを見、驚きによってその眼は更に開かれた。そして、破顔した。
  幼さが残る笑み。
  どれ位祈っただろうか。何度耐えただろうか。全てはこのために。
  ひらひらと彼は手を振る。変わらぬ笑みで、変わった私に。 




  ないた。


  青信号は進めと告げる。




  Fin.


  創作同好会部誌『PUNCS』の1号に寄稿した作品
  ほぼ修正なしであげましたが、今読み返すと軽く悶絶死出来ますね。全体的に直したい…!
  部誌ではルビ振りをしていましたが、此方では外してみました。人物名が分かりにくくて申し訳ないです





前編   モドル