お菓子なphontom 3


約束された夜はやって来る。
怪盗シザンサスの予告日。いつも以上に夜空の星が瞬いている。
この日、多くの警備員がネレイデス屋敷に集っていた。
どの人も落ち着かなく、辺りをきょろきょろとしている。当たり前といえば当たり前である。
もしかしたら既にシザンサスはいるのかもしれないのだから。
けれど、カルミアから見ればどう見ても彼等は烏合の衆。どう考えても怪盗は捕まらないだろう。
多くの人でごった返す屋敷。妙な緊迫で引き締まった空気。
カルミアは一人こっそりとフロアから中庭へと出た。
母であるランタナは仏丁面のまま警備の関係者と話している。
フロアには盗まれてはいけない大切なものが全て並んでいた。
大量の分厚い本達、杖、キセル―――。宝と呼ぶにはみすぼらしい。
今は持ち主亡きモノ達。全て父が大切に所持していたものだ。
シザンサスがあれらを全て持ち去ってしまったら、母はどんな顔をするのだろう。泣くのだろうか。怒るのだろうか。それとも。
「お嬢様、こちらにいらっしゃいましたか」
カルミアの姿を見つけ、ぱたぱたと駆けてくるのは昨日より世話係となった青年だった。
にこにこと微笑んでいる姿はまだ少年のようである。正直、羨ましいと思った。
笑い方なんてものをカルミアはもうすっかり忘れてしまったのだから。
「もうすぐ怪盗シザンサスの予告時間ですね」
青年は言う。好奇心に満ち溢れている声にカルミアは問うた。
「……楽しみ?」
青年は力いっぱい頷いた。
「はいっ!……あ、奥様の大切な物が盗まれてしまうというのに、僕ってば浮かれて…申し訳ありません」
「いいのよ。私も楽しみだわ」
どうせなら、全てを盗んでこの家を没させてしまえばいいのに。
そうすれば全てが変わる。彼女を取り巻く全ての環境が。
本当にそれで全てが変わるのならば……。
「お嬢様、心配しなくても大丈夫ですよ」
青年は笑う。全てを覆してしまうかのような笑みで。
まただ。カルミアはこの笑みの持ち主を知っている。
「すぐに全てが元に戻りますから」
その言葉と同時に、高らかな音で鐘は時を告げた。
約束の零時。
ぴたりと人々の声音が止んだ。まるで動く全ての時を止めたかの様に。
在るのはさわさわと言う木の葉擦れる音と鐘の余韻だけ。
「さて、諸君。零時だ」
何処からか聞こえた声と共は艶のある男の声だった。甘さを抑えた大人の声音。
誰かが叫んだ。
「怪盗シザンサスが来たのだ!」と。
その声が呼び水となり、警備の者達は各自の配置に付いた。
飾られる一つのものに対して二、三人。大きなものは取り囲むように。
母は無表情だった。そして青年は不敵に笑っていた。
「ようこそ、怪盗シザンサスの舞台へ」
世界が闇に包まれた。灯りと言う灯りが全て消えたのだ。
「皆っ!宝物を守るんだっ!」
警備隊のリーダーらしき人の声。
そうだ、部屋に戻らなきゃ。お母様は無事かしら。
勘だけを頼りに駆け出そうとするカルミアの腕を誰かが引き寄せる。
徐々にぽつぽつと灯りは復旧していく中、一人の使用人が叫んだ。
「お嬢様!!」
カルミアは改めて自分の状況を見た。背後から伸びている使用人である青年の腕に抱かれている自分。
見上げた彼の顔は笑っていた。先程と変わらない。けれど何処か自信に満ちた微笑。
「お、お前が怪盗かっ!」
上ずった僅かに疑問の混じる問いに青年は自らの姿を見返す。
「おや、変装を解くのを忘れていましたね」
そう呟くと彼は着ていた上着とシャツを掴み、強引に引き脱いだ。
何が起こったのだろうか。その腕の内にいたカルミアにも分からない。
衣類を地面に投げ捨てた青年は今までの面影をすっかりと消していた。
最早青年と呼んではいけない気もする。そう、彼は男なのだ。
彼は怪盗と言うにはいかにもと言うような黒いマントとシルクハット。そして、小さな羽根のマスクで顔を隠しながらお辞儀をした。
「さて、私はご存知の通り怪盗シザンサス。今宵の劇の脚本家でもあり、出演者でもあり、また一人の観客でもある存在」
「捕まえろっ!」
押しかける警備員に僅かにため息をついたシザンサスは懐からナイフを取り出し、警備の男達の足元ぎりぎりに投げた。
彼等は止まる。後、数センチずれていたら確実に男達の足を赤く染めただろう。
「此処は私の舞台。決められた役者以外は勝手に動いてはいけないよ」
物語が狂ってしまうからね、と笑うとランタナに一礼した。
「奥様、今宵貴女の大切であり不要なモノを頂に参りました」
「カルミアを盗むというのなら間違っているわ。私にとって夫以上に大切なものなどないのだから」
はっきりと言い放つランタナ。やはり母にとって娘は単なる「娘」という存在でしかないらしい。
変わった人間に何を求めても無駄なのかもしれない。カルミアは心の中で思った。シザンサスは苦笑している。
「いえ、とんでもない。こんなに美しいお嬢さんを誰が要らないというでしょうか。きっと何処を探してもいないでしょう」
ですが、と怪盗は続けた。ふぅ、と彼は天を仰ぐ。
「生憎ながら、私の本日盗むモノはどうやら強情のようでしてね。私の語りで魅了されない。全くもって困ったものなのですよ」
「答えなさい。お前は何を盗むのです」
問いには答えなかった。それどころか突然彼は「私はですね、物語が大好きなんです」と言い始める。
仮面の下で男は何を考えているのか。
「そうですね…奥様、遥か昔の王が「目には目を」と言う言葉を生み出したのはご存知でしょうか。
そう、これは目をやられたら目を、歯をやられたら歯を、と言う恐ろしい復讐の法則なので御座います」
「何をおっしゃりたいのか私には分かりません」
「死で始まった物語は死で完結させなければならないのですよ、奥様」
シザンサスは苦笑したようだった。話題を変えるため彼は一回だけ力強く手を叩いた。世界は音を木霊する。
「さて、もしもの話を致しましょう」
そう言いながらシザンサスは懐から小瓶を取り出した。深い水面のような色の瓶は小さな威圧感を持っていた。
「これは毒薬。人一人殺せる強い毒です。あぁ、恐れないでください。これはもしものお話なのですから。
しかし何故、死と言うのは恐れられるものなのでしょうか。
ある時代の詩人は仰っています。死は全てのものに平等に訪れる小さな変化を生む甘美なモノだ、と」
一度そこで話を切り、シザンサスは取り出した小瓶の中身を揺らす。
月明かりに照らされて瓶は幻想的な光を放っている。
「あぁ、人は死ではなくそれから来る変化を恐れているというのが彼の結論だったそうですよ。面白いお話でしょう」
小さな小瓶。それはカルミアの手に乗せられた。驚き、見上げたカルミアにシザンサスは微笑んでいた。
これが貴女の欲しているものだろうと言うように。
カルミアが望んでいるのは現状からの変化。
「この小瓶はあなたに預けよう、カルミア嬢。
貴女がもしこの退屈した仮面の現状から変化を望んでいるのなら飲んでみるのも一興。飲まずに叩き割るのも一興です」
恐る恐る、カルミアは瓶を開けた。彼女を甘い香りが包んだ。まるであの喫茶店のような優しげな香りはカルミアの心を楽しくさせる。
目には目を。歯には歯を。死には死を。
これを飲めば、お母様は元に戻ってくださるのだろうか。
それとも私など見向きもせずにこの怪盗を捕らえるのかしら。
どちらだってよかった。だってその答えを知る術はないのでしょう。
シザンサスの問いの答えなど初めからから決まっているのだから。
カルミアは一度目を閉じた後、まっすぐ母を見た。締まった口元。動かぬ表情。まるで生きるマネキンよう。
「お母様、どうか笑ってください。カルミア、最期のお願いです」
その言葉に目を見開き驚いたような表情の母。前にこのような表情を見たのはいつ以来だろう。カルミアは思う。もし、これが最期ならば。
硬くなった口元の筋肉を緩める。どうすれば可愛らしく微笑む事ができるのだったか。きっと今の自分はとても変な表情をしているだろう。
カルミアは笑っていた。
そして口元を微笑ませたまま小瓶を持ち上げる。中の深紅の液体が揺れるのが見えた。
甘美なる香りはカルミアの魂を何処へ連れて行ってくれるのだろうか。淵に唇を寄せて、瓶を傾けよう。

ハツカネズミは来ないけれど。これで、お終い。

「馬鹿なことするんじゃありませんっ!!」
飛んできた叱咤とビンタにカルミアは何が起こったか分からなかった。
地面に落ちた瓶からは液体が流れ、張り飛ばされた横顔はじんと痛む。
「お、母様……?」
「死ぬなんて…考えるんじゃありません」
母は泣いていた。娘の肩を掴みながら泣いていた。縋るように跪き、顔をうな垂れ、カルミアはがくがくとカルミアの肩を揺さぶる。
「…お母様は私の事がお嫌いなのではないのですか…」
いつも無表情ばかりで。お父様が死んでしまってから笑わなくなって。
変わってしまったお母様。私など嫌ってしまったお母様。
「誰がそんな馬鹿なことおっしゃいました!」
力強い否定。それは間違いなく母のものである。
ランタナは涙でぐしゃぐしゃにしながら呟くように言った。
カルミアが初めて見たみっともない母の姿。
「子を好きでない親などいません」
けれど、それは親としての立派な姿。
「あの人に次いで貴女までいなくなったら……私は……」
そのままカルミアに縋ったまま泣き始めたランタナにカルミアは泣き止むまでずっと背を擦りながら謝り続けた。
「ごめんなさい、お母様。ごめんなさい。本当にごめんなさい…」
夜の風は優しく二人を包み込んで。怪盗はそれを見つめて。
風の音は喝采。木々の葉たちの拍手。アンコールは望まない。
さて、と怪盗は呟いた。
「終演の時間のようだね。今宵の物語はいかがでしたでしょう?」
黙って親子を見守る人々の中、一人ぱちぱちと拍手。言葉はなかった。
怪盗シザンサスは泣きじゃくる親子に帽子を取り、一礼をする。
気が付いたカルミアが顔を上げると彼は言った。
「カルミア嬢、お母様にお伝え下さい。『貴女の最も大切にしている不要なモノ』確かに怪盗シザンサスが頂きました、と」
一体、何を盗んだというのか。
あっけに取られる人々の中、シザンサスはウインクを付けて答えた。


「盗んだのは『不安を隠す偽りの仮面』。そんなもの無いほうが貴女達は美しいのですよ、レディ」







   モドル