お菓子なphontom 2


  「怪盗なんて不届きな輩だわ」
  送られてきた予告状を見た母の反応は素っ気無いものだった。眉一つ動かす事も、気にも留める様子もない。
  ランタナは「馬鹿げたもの」とそれを称し。予告状をごみ箱へと投げ捨てた。乾いた音と共に予告状はゴミ箱に吸い込まれる。
  「……全く。この屋敷に入れないようにして頂戴。いいわね」
  一言だけ警備の者に告げると母はくるりと背を向けた。忠誠を誓う彼らは「はい」とお辞儀をし、去っていく。
  後ろ姿を見送るように見つめていたカルミアは母のほうを向く事無く訊ねた。彼女もまた表情はない。暖かい日差しが差す部屋。
  「お母様、怪盗は来ると思われますか?」
  ランタナは冷えた言葉で告げる。冷たい沈黙空間。
  「貴女も下がりなさい、カルミア」
  それ以上話すな、と言わんばかりの重圧を備えた母の声にカルミアは黙って部屋を出た。ぱたん、と扉を閉める音がやけに大きく感じる。
  長い廊下。光が差し込んでいるはずなのに、どうしてこんなに暗いのだろう。此処だけではない。屋敷の中の全てが、世界が暗色だった。
  それは彼女が笑わなくなってから。全てを閉ざした時から。どうして全てを閉ざしてしまったのか。ぼんやりと午後の陽気の中、思い出す。
  向かいの使用人部屋の方から話し声が聞こえる。まだ歳若い噂好きの使用人達が声を潜めながらの会話だった。そっと耳を傾ける。
  「奥様、なんだか最近冷たいですよね。お嬢様もまるで仮面を着けていらっしゃるかのよう」
  「旦那様が無くなってから奥様は働き詰めだもの。参ってしまわれているのではないのかしら」
  そうだ、母が変わってしまったからだ。
  「お嬢様はそんな奥様を見ていらっしゃるから…お可哀想……!」
  視界の端にカルミアの姿を捉えた途端ぴたりと話を止め、ばたばたと彼女達は働き始めた。
  すぐにカルミアのみを残し、各自の仕事場へと向かうのであった。取り残されたカルミアは過去を遡っていた。
  母が変わったのは父が死んでしまってから。
  黒雲が渦巻いている雨の日の話である。やけに重い空気は不幸を予期させるのには十分だった。
  死因は事故。馬車同士の衝突で横転した車の下敷きとなってこの世から去った。突然の出来事だったのだ。
  カルミアは泣いた。たった一人の父親が、昨日まで、今朝まで一緒に笑っていた父が冷たくなって横たわっているのだ。
  嘆かない娘がいるだろうか。何度も呼んだ。お父様、お父様、と。返事はなかった。
  横には彼女以上に嘆き悲しむ母の姿。呆然とする使用人達。
  母は見ている人が痛々しくなる程に泣いて泣いて―――変わったのだ。
  あれ以来、母の表情と言うものを見ていない。
  母の全ての感情は父に注がれていたのだ。
  目標を失ったモノは飛散し、消えるもの。そしてまたカルミア自身の感情も引きずられるように。母が苦しんでいるのに笑えるはずもない。
  けれど、カルミアは全てを封じる事は出来なかった。
  喫茶店『天使の灯』。毎日通っている事は内緒である。
  そして今、カルミアが思うのはもう一つ。
  怪盗、シザンサス。
  世間を騒がす奇妙な怪盗はこの家、母から一体何を盗むというのか。
  母の大切なモノはもうなくなってしまったというのに。
  母にとって不要なモノはきっと山ほどある。きっと私もその一つ。
  「お嬢様、どうかなされましたか?」
  使用人が掛けた声で我に返る。ばっ、と反射的に顔を向けると使用人のほうが驚いたのか「わぁ」と声を上げる。見慣れぬ者だった。
  「お声をお掛けしても反応なさらないので心配しましたよ」
  いつからいたのだろうか。カルミアが感じていたよりもずっと長い間考えに浸っていたらしい。全く気が付かなかった。
  「貴方、新しく入った使用人ですか?」
  使用人は青年だった。まだ糊のきいた新しい使用人服を着ている。
  「は、はい!お初にお目に掛かります、お嬢様。本日より数日間、リリーさんの代わりにお嬢様付使用人となりました」
  青年はにっこりと笑った。全ての人を虜にしてしまいそうな微笑。
  どうしてだろう。その笑みの持ち主をカルミアは知っている気がした。
  「どうぞ、なんなりとお呼びください。僕の名は―――――」


  誠に申し訳ありませんが、二日間休業とさせていただきます

  突然休業の張り紙が張られた喫茶店にオーキッドはいた。
  片手には声音漏れる無線機、もう片手には家に送られたのと同様の予告状を持っている。オーキッドは無線越しの報告を楽しそうに聞いていた。
  「――――――――――と、言うわけだ。以上、報告終わり」
  「なるほどね。やはり私が言った通りじゃないか」
  大方予想はしていた事だ。なにより店に来る女の子達が話していたし。
  「やはり、ですむか。で、あんなもんで一体何する気だよ」
  その問いには答えなかった。ふふふとオーキッドは笑う。
  「しかし、よく侵入できたね。元義賊」
  「現怪盗には言われたくねぇな」
  懐から取り出し見た懐中時計は夜中零時を指していた。
  パチン、と小気味よい音を立て、時計は閉じられる。
  「さて、そろそろ私も準備をするかな」


  幕が開くまでもう暫くお待ちを――――






   モドル