お菓子なphontom 1
まだ怪盗が鮮やかな盗みを繰り返す時代より。
奇妙な怪盗が世間を騒がしていた。
彼の名はシザンサス。
モノを盗まぬ、なんとも不思議でおかしな怪盗のお話。
煉瓦街に佇む喫茶店『天使の灯』から今日も始まる。
大きくも小さくもない街の中で、その喫茶店は人々に有名だった。
硝子張りの外観に外に咲く深紅のパラソル。
店内に入れば白で統一された小奇麗な空間がお客様を出迎え、ショーケースに並ぶきらめきを放つケーキ達は今か今かと出番を待っている。
それだけでも十分素敵な喫茶店だ。
だが、街中の女性達がこぞって駆けつける理由は他にあるのだった。
「大変お待たせ致しました。こちらはリ・ファリーヌシフォン=B
従来の小麦粉ではなく米粉を使用したシフォンケーキで御座います。添えてある生クリームや果物と共にお召し上がりくださいませ」
純白のパティシエ服の青年は微笑む。営業スマイル、と呼ぶのには客を虜にし過ぎている笑顔である。
現に今しがたケーキを届けられた女性は頬を赤らめている様子が窺える。
そして、もう一人。
「あぁ、今日も女神のように美しいお嬢さん。私と一緒にアフターヌーンティーなんていかがですか?」
地に片膝を付き、女性に両手を差し伸べる男。
ぱっと見は二枚目と思える黒髪の彼は髪を掻きあげた。
ラフな白シャツに黒いズボン。腰にエプロンを付けていることからこの喫茶店の従業員であるという事が分かる。
何処から取り出したのか。その男は紅い薔薇の花束を差し出した。
「どうぞ、受け取ってください。レディ」
その様子を見ている周りの女性達がはぁ、と感嘆のため息を漏らす中で差し出された当の本人は無表情でカップを傾けていた。
そして、食器を鳴らさぬようカップを受け皿に置き、男に告げる。
「結構です」
きっぱりとした言葉だった。彼女の名はカルミア=ネレイデス。
この界隈で有名な資産家、ネレイデス家の一人娘である。
金持ちの娘と言うことで有名であるカルミアはそれ以上に美しさで定評があった。男も女も振り返るほどの美貌。
けれど、その顔が人前で笑みを浮かべることはない。
今日も彼女は変わらず澄まし顔のまま。まるで人形のように。
「そう断らないでください」
男は困惑したような、拗ねたような表情を浮かべる。
「断られるたびに私は傷ついてしまいます。あぁ、この想いを何処に向ければいいのか。貴女以外に愛を語る相手などいないと言うのに」
「別のご婦人を口説けばよいでしょう」
一刀両断とは正にこの事。だが、男には懲りた様子も無い。
それどころか一層楽しそうにふぅ、と呟く。
「うん、つれないお方だ。ですが、其処がまた貴女の魅力を引き立てるのですよ。その美しい声で頷いては頂けませんか?」
此処まで言うとこの男の印象は最早変態以外何者でもない気がする。
当人曰く、紳士として当然の振る舞いだと言うのだが彼の美学を理解できるものなどいない。人々は遠目に思うのだ。
またオーキッドが馬鹿なことを、と。
「お待たせいたしました。フルーツ・タルトレット≠ナ御座います」
パティシエ服の彼が僅かな微笑を浮かべケーキを運んで来た。
色とりどりの果実がふんだんに乗り、まるで宝石箱のような輝きを放つタルトが彼女の目の前に置かれる。今日もまた同じ。
彼女は毎日このお店にやってきて、決まってこれを頼むのだ。
「ありがとう」
彼女はお礼を言うが笑う事はない。感情の無い声音。ただ発せられる音と同じ。
美味しいものを食べても少女の表情は固まったままフォークは進んでゆく。横目で見ながらオーキッドは続ける。
「氷の女王のような貴女は美しい。ですが、私は笑っている貴女も見てみたいのです。花開くかのような笑みはさぞかし美しい事でしょう」
聞いている側が恥ずかしくなるような口説き文句をつらつらと口にするオーキッドの言葉など届いていないようである。
「オーキッド様、彼女ばかりかまわないで、私達ともお話しましょう」
「それより、ちゃんと働いてくれると嬉しいのですが。オーキッド」
痺れを切らしたかのような女性陣と半ば諦めたようなパティシエの声に取り繕うように笑うもオーキッドは彼女から目を離そうとしない。
何故この男が此処まで固執するのか。誰にも分からぬ事だった。
「カルミア嬢、私と賭けをしませんか?」
やがて、オーキッドは言った。秘密の約束を交わすように声を潜めて。
「しません」
「貴女が勝ったらもう貴方には付きまとわないと約束します」
彼女の否定を無視しオーキッドは勝手に話を進める。
「三日以内に私が貴女を笑わせたら私の勝ち。これでいかがです?」
高らかと宣言したオーキッドにカルミアは僅かに眉を顰める。
「……面白い事を仰いますね。私が負けたら何をすればいいのです?」
「何も。ただいつも通り此処に来てフルーツタルトを食べてください。いかがです、簡単でしょう?貴女にデメリットは無いはずです」
オーキッドは何をしたいのか。賭けをする必要性が見当たらないのだ。
さてはこの男本当におかしくなったか。カルミアが乗るはずもない。
断るだろう。
誰もがそう思いながら聞き耳を立てていると彼女は僅かな音を立ててフォークを置いた。きらり、と銀は反射する。
「いいでしょう。三日ですね」
カルミアはそう言うと席を立った。ケーキは綺麗に平らげられている。
「ご馳走様」
パティシエに向かい軽く頭を下げ、スカートを摘んだカルミアはそのまま振り向かず立ち去った。その姿はすぐに馬車に隠れ見えなくなる。
「絶対ですよ!カルミア嬢!」
立ち上がり、声を上げながら手を振る男に回りの女達が我先にと周りを取り囲み、腕を取る。
カルミアのいなくなった席を奪い合うように座った彼女達は小鳥のように囀り始めた。
「オーキッド様、そんな賭け無茶ですわ。第一、意味もありませんし」
「彼女は笑顔を浮かべないのではなく、失ってしまったのですわよ」
「失ったものなど戻ってくるはずありませんわ。お可哀想に」
その「可哀想」は男に向けられたものなのか。それとも少女へのものなのか。
オーキッドは笑う。誰へ向けるわけでもなく。ただ笑った。
「それはどうかな。子猫ちゃん達。世界は分からないものなのだよ?」
「オーキッド、一体どうするつもりだ?」
やっと仕事に戻ったオーキッドに青年は尋ねる。接客時とはがらりと変わった声音に驚く事もなくオーキッドは答えた。
「どうって決まっているだろう。ヒラギ君。私に対してその質問は愚だと思わないかい。
助手である君ならば分かってくれているとばかり思っていたのだけれど、それは私の勘違いだったかな?」
「お前に常識が通じない事ぐらい知っている」
冷静に切り替えしたヒラギにオーキッドは満足そうに笑った。
「ならいいのさ。仕事をしようじゃないか。協力してくれるだろう?」
「嫌だって言っても強制参加だろ、どうせ」
ため息混じりに返す言葉。愚痴と言うよりも面白がっているようだ。
「了解、了解。怪盗シザンサス。で、一体何を?」
彼は呼ぶ。目の前にいる上機嫌な怪盗の名を。
オーキッド…いや、シザンサスは手に持った銀色のトレイをくるくると回し、空へ放った。トレイは光を反射し輝きながら落ちてゆく。
「決まっているじゃないか」
トレイが彼の手に収まると彼はにやり、と口の端を吊り上げた。
「カルミア嬢の凍りついた表情を、さ」
次の日、ネレイデス家に一通の手紙が届いた。消印はない。
染み一つ無い白の便箋に綺麗な筆記体の紫文字は綴られ躍っていた。
拝啓 ランタナ=ネレイデス様
明日、貴女の最も大切にしている不要なモノを頂に窺います
怪盗シザンサス
モドル →