謳えぬphontom 5


  ある部族に一人の男がいました。
  男は男が物心付く前に起こった戦争で国も、家族も失っていました。
  男には自分以外何一つありません。
  他の人は男のことを哀れみましたが、男はその哀れみが分かりませんでした。
  なにせ全てを知らないのですから。
  少年だった男が青年へと心の変化を遂げるとき、男は思いました。
  「そうだ、旅に出よう」
  同じ部族で固まった世界ではなく、男は全てを知りたかったのです。
  勿論、皆は反対しましたが、聞く様な男ではありません。
  見張りも寝静まった夜遅くに男は一人旅に出ました。
  月と星の綺麗な夜でした。
  男は路を歩くごとに多くを見て、止まるごとに多くを知ったのです。
  そして、男は見て知った事を男は人々に分け与えるように語りました。
  時には広大な自然の話を。時には小さな村の話を。
  まるでこの世界を全てを知っているかのような語り部さん。やがて男は人々から吟遊詩人と呼ばれるようになりました。
  その名は次第に広まり、一人の王様の耳に入ることになります。
  王様は男を王宮に呼び寄せて言いました。
  「わしの一人娘が世界を知りたがっておる。どうか、そなたの知っている事を話してやってはくれないか」
  男は答えました。
  「仰せのままに。私の話がお姫様のお役に立てるなら」
  お姫様は大変無邪気な人でした。
  名も無き男に名を付けたのをきっかけに用事があるとき以外ずっと男に物語をせがむのです。
  男もそんなお姫様に優しく、時には激しく口調を変え、男自身が体験した出来事を語りました。
  よく笑い、よく泣く、可愛らしい人。
  男にとってこの生活こそ、初めて感じた幸せだったのかもしれません。


  あぁ、残酷なモノ
  運命の女神は幸福ではなく、男を絶望に落とす事を選んだ
 

  「是非、我が国最大のお祭りを見に来て下さいませ」
  それは一通の手紙だった。昨年新たに出来た遠方の国より。
  どんよりとした曇り空の日。男は呼ばれるままに旅立った。
  一体どんな祭りなのだろう。気持ちを高鳴らせ。
  あぁ、お姫様を一人にして大丈夫か。不安に駆られ。
  男は路を進んだ。何日も何日も歩き、やっと其の国に着いたのです。
  「よく戻った、同胞よ」
  男を迎えたのは男と同じ民族の男でした。決別した彼等です。
  門の向こうに広がる街では全ての人が楽しそうに踊っていました。
  誇るように同族の男は言いました。その手には汚れた兜が一つ。
  「喜べ、我々の国を滅ぼしたあの忌々しき王国は滅びたんだ」
  「よかったわ、貴方が巻き添えにならなくて…」
  別の女が言いました。心から安堵した表情。
  此処まで言われて、察せない程、男は無知ではありません。
  あぁ、いっそ無知のほうがよかった。何も知りたくはなかったから。
  「今……今あの国は……」
  恐る恐る、男は尋ねました。其の声は震えていたかもしれません。
  「もう既に焼け野原だ。草木一本残ってやいやしないさ」
  ははははは、と笑い声が町に響きます。
  男は―――――――。
 

  「もういい!」
  ディルムの叫びによってシザンサスの語りは止められた。
  「おや、この物語はお気に召しませんでしたか。これにはですね、まだまだ続きがありまして……」
  「もういいと言っているっ!」
  更に声を張り上げ、怒鳴るディルム。微笑んだままのシザンサス。
  「……これが貴方の『最期に残そうとしたモノ』ですよ」
  ゆっくりとシザンサスは言った。
  「この話は…作り物なんかじゃない……」
  怒りが抜けたディルムは元の優しげな表情をしていた。ただその目は悲しげに伏せられ、遠い昔を見つめているようだった。
  「これは全て……私自身の記憶だ。私は…私自身が憎い……」
  じっと目を閉じたディルムはシザンサスに問うた。
  「何処でこの老いぼれの記憶を知り得たんだい。怪盗さん」
  「さぁ……。ただ、私はただ『物語』を語っただけです。誰かの記憶を語ったつもりはありませんよ」
  そういうと、声音を明るくしてシザンザスは切り出した。
  「僭越ながら、私は貴方のファンでしてね。処女作から引退作まで全て持っているんですよ。どの話も感動的で、好きなんですが…」
  「が?」
  言葉を詰まらせたシザンサスに著者としてディルムは聞き返す。
  「いかんせん、悲しく歳を取るたびに涙腺を刺激されてしまうのです」
  マスクの上から目元を擦る怪盗にディルムはぷっ、と吹き出した。
  その様子を見てシザンサスは続ける。
  「ですから、最期は笑いましょう。貴方はもう笑えて、幸せも悲しみも知っているのですから。
  遠い国の王妃様も、そう望んでいらっしゃいますよ」
  「まさか………!!」
  「久しぶりの王宮のコーヒーは、美味しかったでしょう?」
  目を剥き、破顔したディルム。シザンサスは時計を見、外の騒ぎを聞き、言った。
  「さて、そろそろ幕引きの時間のようだ」
  怪盗は指を鳴らす。ぱちん、と言う音と共に倒れていた人々の身体がびくりと動き、彼等はゆっくりと目を開けた。
  「確かに『貴方にソウゾウされし最期』盗ませて頂きます」
  シザンサスの腕にはいつの間にかフォセカのために綴った本が抱かれていた。
  しかしですねぇ、とシザンサスは続ける。
  「私は物を盗まない主義なのですが…困りましたね」
  シザンサスのその顔は本気で困っている表情。
  「ならば私がこうしようじゃないか」
  ううん、と横でフォセカと警部が起き上がる気配がした。
  あぁ、よかった無事に目覚めて。
  ディルムは机の引き出しからマッチ箱を取り出し、器用にさっと一回で火をつけた。
  「これでどうだい?怪盗シザンサス」
  そういうとディルムは自ら本に火をつける。
  初めは小さく燻っていたそれは、空気を吸った途端一気に本を燃やし尽くしにかかる。
  「か、怪盗シザンサス!…ってディルムさん、何を!?」
  「おじいちゃん!?どうしたの!?」
  驚く二人。シザンサスは実に楽しそうに大声で笑った。
  「ははっ、これは面白い。では、確かに」
  「あぁ、君にはしてやられた。ありがとう」
  状況のつかめぬ二人と憑き物が落ちたかのようにすっきりした顔のディルム。
  シザンサスは彼等に飛びっきりのウィンクを残すと、開け放たれた窓より颯爽と夜の闇へと溶け消えた。
  盗みを証明するものは何もない。
 

  ただ一筋、燃える煙が怪盗を見送るかのように窓から立ち上っていた。





   モドル