謳えぬphontom 4


  予告状当日。
  今宵もまた大勢の警察が怪盗シザンサスを捕まえるために街に繰り出していた。
  いや、警察だけではない。
  その怪盗を一目見ようと多くの野次馬が辺りには詰めかけ、小さなアパートの回りは騒然としていた。
  「そろそろ、予告時間だな」
  誰かが言った。狭い室内にはディルムとフォセカ、そして警部と警部補。
  同じ建物の別棟では更に別の警官が待機している。
  「おじいちゃん、一体シザンサスは何を盗みにくるの?」
  急に不安になったのかフォセカはずっとディルムの手を握っている。
  「不安にならなくても大丈夫だよ、フォセカ。こんなにいっぱいの警察さんがいるから、きっと怪盗さんは何も盗めずに帰っていくさ」
  安心させるようにディルムは言い聞かせる。
  「ディルムさん、コーヒーでも飲みませんか。気を張っていたら持たないでしょう。少しリラックスしてはいかがです」
  警部補と見られる男がマグカップにコーヒーを注いで持ってきた。
  ふわりと辺りに深みあるコーヒーの香りが広まった。
  「わざわざすみませんねぇ。本来ならば此方が御もてなしをしなければいけない立場にあるのに。ありがたくいただきます」
  「お前……、こんな時に何をやっとるんだ!緊張感を持て!」
  呆れた様子の警部に、「だって……」とごもごもと言い訳する警部補に微笑ましさを感じながらディルムはコーヒーを口に運ぶ。
  コーヒーだなんて懐かしい飲み物だ。ディルムは思う。もうずっと昔に飲んだきりである。
  嫌いではない。が、在る時から飲む事をやめたのだ。
  「それにしても遅い、くそ、一体どれだけ待たせる気だ。怪盗シザンサスめ!今日こそ捕まえてやる」
  気合を込めて警部が拳を天に突き出した時だった。
  「お待たせして申し訳なかったね。思った以上に準備に時間が掛かってしまったのだよ」
  其の声が響いたのは。声は何処から響いているか分からなかった。
  ただ、異質な人が一人。
  先ほどまで警部に怒られていた人間は、警部補は不敵に微笑みながら声に驚く彼等の中をゆっくりと歩いていた。
  そして、扉を背に笑みを吊り上げる。今しがたの警部のように天に腕を伸ばし、囁く。
  「さぁ、開幕の時間だ」
  ぱちん。
  小気味いい音を立てて指は鳴らされた。途端後ろの扉が吹き飛び、ぶわりと白い煙が溢れ出す。
  視界が奪われた。一体どれだけの時間包まれていたのだろうか。
  ディルムの視界が晴れたとき、目の前に立っていたのは先刻までの警部補ではなかった。
  黒いマントとシルクハット、そして小さな羽根のマスクで身を隠した怪盗の姿。
  「御機嫌よう、今宵お目にかかれることを心から光栄に思います」
  男は優雅にお辞儀をした。
  何が起こっているのか分からずぽかんとしているディルムの視線に入ったのは足元に倒れている孫の姿だった。
  「あぁ、彼女等は寝ているだけですのでご安心を」
  ディルムの心を見通したかのようにシザンサスは言う。
  「観客が居ないのは少々寂しいですが、今宵の舞台は私と貴方二人のみ。予告通り、『貴方に創造されし最期』を頂に窺いました」
  「最期…そうか、この子の為に書いている最期の作品が今回、貴方の目的なのか、怪盗シザンサス」
  それは年老いたディルムが可愛い孫ため、ディルム自身のため記そうと決意し書き連ねている物語だった。
  一体この怪盗何処でその話を知ったのか。シザンサスはおぉ、と嬉しそうに声をあげた。
  「流石、文豪と呼ばれたディルム氏。話の察しがよろしいですね。私が求めているのはそれであり、またそれでないのです」
  言葉の意味は分からなかった。ふふふ、と怪盗は微笑む。
  「私もですね、少々文章を書いてみたりするのですよ。いやぁ、これがなかなか難しい。よろしければ少し聴いて下さりませんか」
  そう言うと、シザンサスはディルムの承諾なしに語り始めた。


  一人の男の物語の始まり、始まり――――――





   モドル