謳えぬphontom 1
喧騒の夜。ばたばたと駆ける警察の足音を背景に野次馬は囀り始める。
「またあの怪盗が現われたらしい」
「怪盗シザンサスか」
「今回も何も盗まなかったらしいな」
一人の男は其の話を聞き、笑った。
まるで全てを知っているかのような笑いに周囲の野次馬は視線を男に向ける。
男はにやりと一層微笑むと、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「アイツはもっと大切なモノを盗んでいるんだよ」
そんな摩訶不思議な怪盗(ファントム)の物語をこれから綴っていこうではないか
「いらっしゃいませ、レディ。今日もお美しい……」
本日もまた、変わらぬ一日が始まる。大きくも、また小さくもない街にある喫茶店『天使の灯(エンジェルランプ)』。
パラソルの下、今日も一人の男は満面の笑みと深紅の花束を持って女性へと差し出した。この喫茶店では最早日常と化している光景に驚く者はいない。
男、オーキッドの語りは続く。
「多くの詩人に愛され謳われたこの薔薇の花でさえ貴女の優雅さの前では霞んでしまいます。
あぁ、どんな言葉を連ねれば貴女を喩えることが出来るでしょうか。いや、きっと世界中を探しても……」
「フルーツ・タルトレット≠一つ」
「畏まりました」
そう、これは日常の対応。女性はいつも決まって同じものを頼み、カフェのパティシエ兼ウェイターは上質な笑顔でオーダーを受ける。
「ふふ、レディ。よっぽどフルーツ・タルトレット≠ェお好きなのですね。まるで宝石のような果実も美しいが貴女には敵わな……」
「此処でケーキは買えるのかしら?」
オーキッドの台詞はまたも遮られる。甲高い声で振り返ると其処には幼い少女が立っていた。
燃える様な赤毛を高い位置で二つ。それに会わせる様に暖色のワンピース。肌は白と呼ぶよりももっと褐色に近く僅かに釣った目からは活発さが窺える。
「おや、可愛いお嬢さん。どんなケーキをお探しかな?」
すく、と立ったオーキッドが少女に微笑むと少女は言う。
「お嬢さんじゃないわ!私の名前はフォセカっていうのよ。これからおじいちゃんに会うの。だから、美味しいケーキを頂戴!」
「畏まりました。ヒラギ君!美味しいケーキをこのフォセカ嬢に一つ作ってあげてくれたまえ!特上の素晴らしいものを頼むよ!」
厨房から自分で作ってください、と言う声が響くもオーキッドが気にする様子はない。
それよりも今の彼を惹きつけていたのは少女の抱いている一冊の本だった。灰色のカバーに金字が踊る。
「この本は……?」
オーキッドが手を伸ばすとフォセカは、さっと其の本を背に隠した。
「コレは駄目っ!おじい様が私だけに書いてくれている本なのよ!」
自慢げにえへんと彼女は胸を張った。二つのおさげが揺れる。
フォセカに釣られるようにオーキッドは微笑んだ。
「ほぅ、それは素敵だね。小さなレディ、よければ少し其のお話を聞かせていただけないかな?貴女と会った記念に……ね」
「いいわ!少しだけよ!」
そう言うとフォセカは重そうにテープル上に置くと、本を開いた。
全ての愚者に一つの寓話をお聞かせ致しましょう
この物語は平和な国で起こった悲歌劇
一人の乙女の物語の始まり、始まり――――――
ある国にお姫様がいました。唯一の王位継承者として大切に育てられた箱入り娘のお姫様。
彼女は全ての人の愛と優しさを受け、何一つ不自由する事無く育ってゆきました。
故に外の世界というものに憧れたのです。お姫様は呟きました。
一体どんな世の中が広がっているのでしょう。
ある日、お姫様は言いました。
「私はもっと世の中を見てみたいわ」
けれど、お姫様を何処かに行かせるわけにも行きません。困った王様は、城に異国の吟遊詩人を呼び寄せました。
褐色の肌に見たこともない文様の刺青。まるで闇を切り取ったように黒い髪。琥珀の瞳はまるで夕陽のように澄んでいました。
一目見てお姫様はその男を気に入りました。
「吟遊詩人で御座います。どうぞ、よろしく願います」
優雅にお辞儀をした吟遊詩人は言いました。お姫様は答えません。
お姫様は答える事も忘れ、じぃと吟遊詩人の顔を見つめていたのです。吟遊詩人はお姫様の様子に不思議そうな顔をして訊ねました。
「……私の顔に何か付いていますか?」
いいえ、お姫様は答えました。
「いいえ、何も付いてはいませんわ。吟遊詩人様、名はなんとおっしゃるのですか?吟遊詩人様、と呼ぶには些か呼びにくいわ」
お姫様は質問に吟遊詩人は僅かに寂しそうに笑いました。
「名は遠く昔に故あって捨ててしまいました。今は…吟遊詩人としか名乗っておりません」
其の言葉に王様が顔を伏せたのに、そんな王様を何も映さぬ瞳で吟遊詩人が見やった事にお姫様は気が付きませんでした。
「じゃあ、私が名付けます。そうね……どんなのがいいでしょう?」
驚く吟遊詩人にお姫様は更に笑いました。まるで花開くような美しい笑みに釣られるよう、吟遊詩人も笑いました。
「此処から先はね、今日書いてもらうのよ!」
フォセカはわくわくと言った様子で本を閉じた。今から続きが気になっていると言う様子である。
オーキッドは少し大げさな振りでぱちぱちと手を叩いた。彼と向かいに座っている女性も感嘆のため息をつく。
「これは面白いお話を聞かせてもらった。お礼と言っては何だが、此処のケーキの代金は私が払おう」
そして、微笑みながらオーキッドは続けた。
「もしよければまた後日、続きを聞かせてくれないかな?」
少女、フォセカが去った後、カルミアは呟いた。運ばれてきた白い皿には大粒の宝石達がふんだんにのった彼女のお気に入り。
「あの本の著者……ディルム=カミツレー、でしたね」
自然で優美な動き。カルミアはタルトにさくり、とフォークを入れた。
「おや、レディ。貴女も彼のファンなのかい」
ディルム=カミツレー。それは一人の小説家の名前だった。
いや、元小説家だったと言うのが正しいだろうか。かつて小説の黄金時代と呼ばれる時代を作り、随分昔に現役を退いた有名著者だ。
退いた今も尚、其の物語は多くの人に語り継がれて続けている。
「よくよく考えれば懐かしい名前だな。『王冠の道化』、あれには涙を流さずにはいられなかったよ。私は彼の作品は全て名作だと思うね」
「私も彼の書く文章は素敵だと思います。全て持っていますもの」
「そんな彼の未発表作が見られるなんて実に光栄だよ」
しかし、問題はそこではないことは彼女もオーキッドも知っていた。カルミアは少女の去って行った先を不安そうに見つめた。
「けれど、彼の書く文は……決まって残酷。少女が読むには……」
「相応しくない、と言えば其れまでだがね」
オーキッドは口に添えた手の内側で、紳士に微笑んだ。
「全く…、実に興味深い物語だ」
モドル →