堕ちた王国で、僕は 1
これは運命の分岐点先、選ばれなかった未来の物語。
陽月戦争から三年。ラヴァート史××××年。○月×日。
太陽王国、滅亡。
原因:不明。同日、太陽王国方面で太陽人神らしき姿が確認されている。
国王:行方不明。 生存者:なし。 死亡者数:ゼロ。
建築被害:被害レベルMAX。再建不可と推測。
その他の特異点:太陽王国王宮を中心とした半径100kmの空間的消失。
何故、路を踏外してしまったのか……
「…………やはり誰もいない、か」
アルフォンスは歩いていた。目の前には豪華絢爛だった廃墟が広がっている。
元、太陽王国城内。生まれ育ち……そして捨てた場所は、もう国と呼べるモノではない。
王宮のなれ果てた姿をアルフォンスは極めて冷静な目で見ていた。
今は剣戟、いや人声一人聞こえる事はない。紛れもない静寂が彼の世界を包んでいた。
「……ボクらの子供は本当に聡い子のようだ。今度会ったら…そうだ、素敵な名前を付けてあげよう」
誰に言うわけでもなくアルフォンスは呟き、踵を返した。
もうこの場所に用はない。
砕かれたステンドグラスからはらはらと光が降り注いでいた。
その光は数日前まで“太陽の国”と呼ばれていた事を想像できない程、弱々しく頼りない明りである。
いや、もう太陽の名を冠していないのだから当然か。
苦笑したアルフォンスは、柔らかい絨毯と硬いオブジェを踏みしめながら城の奥へと歩を進める。
幾つかの壁が崩れ埋もれた通路を迂回し、幾つかの扉の残骸を通り過ぎた先に彼は座っていた。
太陽王国、謁見の間。
真っ赤で真っ黒な部屋の中、黄金の青年が玉座に座っていた。
神々しさを感じる金色の髪。細く白いしなやかな体躯。笑みを浮かべているかのような唇。
まるで人を模した出来の良い人形が座っているのかと錯覚しそうな位、彼は美しかった。
フェルラートは完璧だった。
ただ一点、彼に付けられた目隠しを除いては。
青年の名はフェルラート。太陽王国最期の王であり、アルフォンスの腹違いの弟。
かつかつ、と響くアルフォンスの足音に反応するようにフェルラートが口を開く。
「兄さん…………?」
盲目状態のフェルラートは両手を左右に彷徨わせながら、手探りでアルフォンスの存在を探していた。
怯えが混じったその声は明らかにアルフォンスに向けられている。
早足で玉座までの階段を上ると、アルフォンスは玉座の前に跪き、鎮座するフェルラートの傷ついた手にそっと自らの手を重ねた。
「僕だよ、フェルラート。分かるかい?…ただいま、遅くなったね」
兄の存在を確認し、ほっと顔を綻ばせたフェルラートは空いている左腕でアルフォンスを抱きしめた。
玉座から滑り落ちるようにしてフェルラートの体重がアルフォンスにのしかかる。
「兄さん…………!」
落ちてきたフェルラートをしっかり抱きとめると、アルフォンスは囁くように問いかけた。
「フェルラート、寂しかったかい?」
安堵顔で愛おしそうに兄の体に顔を埋めたフェルラートは、幸せそうに頷き微笑む。
幼子のような意志表現にアルフォンスは幸せそうに苦笑し、弟の艶やかな黄金色の髪を撫でた。
「全く…、仕方のない弟だよ」
アルフォンスは両手でフェルラートの身体を壊れないようにそっと抱き直す。
そのぬくもりを守るように、慈しむように。
滅亡した王国。
消失した大地の上で、かつて神に選ばれた兄弟は生きている。
なぜ、どうして、こうなったのか。原因は、みていたのに“みていなかった”こと。
真教の連中、太陽王国民、月公国大公、…そして、自身。
箱を開け、紐解いてみればなんてことはない。複雑で単純な食い違った歯車がいくつかあっただけ。
それだけだ。
だが、“それだけ”も分からずに、人々は踊らされ、結果として破滅していった。
結末は狂ったものだった。
太陽王、乱心の知らせを聞いたアルフォンスが王宮に駆けつけた時、城は既に鮮血に染まっていた。
「フェルラート。何処にいるんだい、…ッ、フェルラート!」
アルフォンスは弟の名を呼ぶが、当然のように返事はない。
折り重なるように倒れている人肉の柔らかい絨毯と魔法で焼き払われた人骨の固いオブジェを踏みしめながらアルフォンスは城の奥へと歩を進めた。
ぴちゃ、ぴちゃ、と血だまりが来客を歓迎するように至る所で声を上げ、足に纏わり付く。
言葉に形容できない狂気の予感は進めば進むほど段々と強くなっていった。
自らの精神が狂気に蝕まれていく感覚にアルフォンスは苦々しく微笑んだ。
この先で何が起きているかなど、想像に容易い。
扉の奥、廊下の奥より幾度となく無残な音が聞こえては消えていった。
遥か遠くまで響く剣戟。何かが床に倒れる。金属音。騒ぎ声。
祈る事しか出来ない少女の悲鳴。
守り続けた武人の虚しき絶叫。
正義を掲げた女性の呻きに似た泣き声。
それが最後。まるで今までの喧騒が幻聴だとでも言うかのような静寂が、瞬く間に広がっていった。
もう狂気は聞こえない。自身の単調で平凡な足音だけが鳴っている。
数ある王宮の部屋の中、アルフォンスはある巨大な扉の前でぴたりと足を止めた。
太陽王国、謁見の間。
黄金の精緻な飾りが施された扉は、今も昔も厳格なる佇まいで王と下々を別つ境界に居座っていた。
アルフォンスは無言のまま扉へ近づく。
扉に身体を預け、目を閉じ、じっと耳を澄ませた。
何も、聞こえない。
「其処にいるのかい、フェルラート?」
扉に囁き、問うたところで答えが返ってくるはずもない。
アルフォンスはゆっくりとした動作で取っ手に手を掛けた。
かたり。
金属がずれて音を立てる。
軋んだ音がアルフォンスを謁見の間に迎え入れたのは、それから直ぐのことだった。
「兄さん、兄さん………」
しっかりと抱きしめているのにも拘らず、フェルラートはひたすらにアルフォンスを呼び続けていた。
消えて無くなる事がないように何度も何度も呼んで、そこにいる事を確かめる。
アルフォンスが返事をすると微笑み、少しでも黙れば不安そうに背に回した腕にぎゅっと力を込めた。
また手を伸ばしたかと思えば、フェルラートはアルフォンスの髪を、顔を、首を…手の届く全てに触れたがった。
触覚でも兄の存在を確かにしようとしているのだ。
「……僕がそんなに恋しいかい?フェルラート」
からかうようにアルフォンスが問いかけると、口をぱくぱくとさせながらフェルラートは頷いた。
目隠し下の頬は赤く染まっており、照れているのだと分かる。
「嬉しいね」
満足そうに微笑んだアルフォンスは丁度自らの首を撫でていたフェルラートの手を取ると、その滑らかな手の甲に触れるだけのキスを落とした。
姫君に忠誠を誓う騎士のように。
手の甲へ口付ける意味は『尊敬』。
そういえば、初めて忠義を誓ったのは一体何時の事だったか。
平和だった過去へと記憶を遡る。
王位継承権が剥奪され、新たに王位継承者となったフェルラートの影武者になれと命じられたあの日。
まだ言葉もろくに喋れない弟と引き合わされ、王に「命を失ったとしても守れ」との命を受けた。
アルフォンスにとって影である事が王宮での存在意義であり、存在理由。
名義上だけの皇子と言っても過言ではない。
だがアルフォンスは自らの弟を疎んだり、憎んだりした事はなかった。
“「にぃさん、にぃさん!」”
遥か昔、ころころと笑いながらアルフォンスに抱きつく幼子の瞳はきらきらと輝いていた。
アルフォンスはフェルラートの瞳が好きだった。真っ直ぐにアルフォンスを見て、微笑んでくれる瞳。
唯一自分を映し、認識してくれる翡翠色の宝石を守るために、アルフォンスは………。
「兄さん………?」
遠い過去へ思いを馳せていたアルフォンスはフェルラートの声で現実に引き戻された。
腕中の弟は顔を上げて心配そうに兄を見つめている。翡翠の瞳は白に覆われたまま。
フェルラートに目隠しをしたのはアルフォンスだ。弟がこれ以上壊れる必要はなかったから。
もうフェルラートの瞳が世界を映す必要はないのだ。アルフォンスは布越しに弟の瞼をなぞった。
映さないのではない。もう、映させはしないのだ。
アルフォンスの指は閉ざされた眼から頬へと下る。
傷や穢れひとつない柔らかな頬を撫でてやると、フェルラートはくすぐったそうにくすくす笑った。
真似してフェルラートもアルフォンスの頬を撫で始める。
昔からなんでも兄の真似をしたがった弟。
「……変わらないね」
ぽつりと、アルフォンスは呟いた。その呟きには今までにない安堵が含まれている。
何よりも変化を恐れていた。
だから変質していないという事実が何よりも嬉しかった。
そして、これからも。
「フェルラート……、おいで」
柔らかな唇にキスを。軽く触れるだけの『愛情』。ついばむ様な接吻を幾度となく繰り返す。
優しいけれど焦らすような口付けの合間からはフェルラートの甘い声と吐息が漏れた。
「ふぁ…ぁ……、兄さ…ん………!」
強請る様にフェルラートは強引に唇を舌で割り、舌を絡ませ始める。
口内を遠慮なく掻き乱す様は、昔のフェルラートからは想像できない程に淫らなものだった。触れる肌、全てが熱を帯びて熱い。
アルフォンスはフェルラートの背中にあった腕を首筋に移動し、くすぐるようにうなじを撫でた。
嬌声を上げたフェルラートの口端からつぅっと銀の糸が垂れる。
それを掬い伝う様にしてアルフォンスはフェルラートの首筋に噛みつくように華を咲かせた。
「…大好きだよ」
ナニモ、カワラナイ。エイゴウニ、カワラナイ。
変わったことがあるとすれば、歪んだ鏡が彼らだけを真っ直ぐに写したという事だけ。
モドル →